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心の中の風景 2018

何が人間の人格を構成するのだろうか。人間は育っていく過程で、周囲を取り巻く環境、出会う人々の影響を受ける。我々の人格はそういったものとつながっている。人格は外部の環境と切り離されてはいない。時に他者に自らの人格の一部を投影し、好意や敵意を抱いたり、無関心だったりもする。個人の人格は周囲を取り巻く森の一部、わたしはそのように考えている。

Landscape in mind 2018

what is structuring human's mind? At the process of growing, we get effect by the surroundings environment,  and many people we met. Personality can not be inseparable from with environment of outside.

Sometime, we project a part of our personality to others, and getting positive feeling or hostile feeling, sometime we are indifferent to others.

Personality of individual is a part of forest surroundings environment, I am thinking that.

前向きに閉じる ​2017

 

 

ある日ふと気がついた。自分の絵の中には、頻繁に壁が登場する。それでは、壁とはなんだろうか。

 

誰しも、部屋という、壁の中で暮らしている。キャンプするときだって、テントという壁を作って、その中で寝る。野ざらしで寝たい人はあまりいない。

 

壁とは、こういった、物理的なものだけだろうか。世の中には、いろいろな形式での壁が存在する。小さな単位では、個人の趣味嗜好、身体感覚の違いによる意思の疎通の齟齬、大きな単位では、民族的な習慣の違いや、法令、言語の違いによる齟齬が生じる。

 

こうした苦痛から、時に、人は自分の世界という「部屋」に閉じこもってしまう。

 

しかし、壁の中に住んでいるのに、そういえば、窓のない部屋に住みたい人もなかなかいない。

 

壁の中で培われた「自分の世界」は、「窓」という外界とのゆるい接続を持って、他者との繋がりを獲得する。

 

我々が他者に対して作ってしまう、部屋という壁は、しかし、窓という、小さな他者との繋がりを持っている。

ディオニュソスと冬眠する 2016

 

 

 

冬眠への意志、という言葉がある。哲学者ニーチェがその自伝「この人を見よ」で言及した概念である。以下にその一節を引用する。

 

この人を見よ(岩波文庫 手塚富雄訳)

P31

このことにたいして、病人は、ただ一つだけ立派な治療法をもっている。

わたしはそれをロシア的運命主義と呼ぶ。

ロシア兵が行軍に耐えられなくなると、ついには雪中に身を横たえるあの無抵抗の運命主義である。もうなにも受け付けず、引き受けず、受け入れない、およそもう反応をしないのである…..

この運命主義は、かならずしも単に死への勇気を意味するばかりではない。

そこにひそむ偉大な理性は、生命にとってきわめて危険な状態の中でその生命の維持をはかるものであり、新陳代謝の切り下げ、その緩慢化、一種の冬眠への意志なのである。

 

 

極限状態において、動物は冬眠、仮死状態、すなわち死に近づくことによって代謝を抑え、エネルギーの保存を図り、その危機を生き延びようとする。それと同様な本能が人間にもあると、ニーチェは言う。

 

理性的を意味する、アポロン的なもの。それと対立する、激情的、陶酔性を意味するディオニュソス的なものに示される人間の本能。「冬眠状態」に示される、極限状態において、アポロン的判断はその意味を失い、ディオニュソス的陶酔によってのみ、生命の維持を図ることが可能になる。

 

冬眠状態における人間の陶酔性を再考する。

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